ある依頼の案件で決め事に悩み裏山から今住んでいるところを眺めながら人の暮らしと自然との共存の在り方を考えてみた。
引いて見ると自然に移りゆく自然界の中では人の暮らしがとても目立つ。様々な色の家が目立ち、車の往来の音が山に響く。
人が快適な環境は自然破壊に直結してる。
いい景色をビジターに簡単に観せる観光資源とする為に大型バスが走れるよう山道を無理くり斬り開き土砂を盛り二車線道路を作ってしまう工事が進んでるのは人のエゴの姿に違いない。
災害の時に避難するルートになるなんて言い分は切り立った崖が地震で崩れる事は想定してないのだろうか?
下から上に来るまでの林道の美しくこと。
今残っている林道はそのままにするべきだと思う。
近い将来には消滅して跡形もなくなったら本当に残念だ。車での移動が楽になるのだろうけど生態系の破壊は大きな天誅となって人の暮らしに還ってくるだろう。
本来なにも手を加えない自然の方がよっぽど現代の人間界では価値を持つのにそれが分からない官民は自分で自分の首を絞めていく。
この数年だけでも沢山の建築物や護岸工事に道路工事が増えてきた。
もちろん災害の復旧作業などもある。
人の暮らす集落と沢山の生き物が暮らす自然界の調和は大きなテーマだと思う。
春から夏もいいけど、秋から冬になろうとする奄美の静けさもいい感じ。
波は太平洋からシナ海のシーズンになってくる。
今年も色んな台風が来ては去っていった。
アカショウビンやサシバが季節を知らせてくれるここで暮らす事で自分を何とかキープ出来てる。
車でなく自分の足で登ると同じ景色でも感動と満足感が違うことを知らねばならない。
今は怪我してる足で登れんから車で来たけど、治ったら家族でまた登ろう。
何万年もかけて出来た自然を人は余りに軽視してるとこがある。
美しい海や山の循環が何世代も後へも残せるように現代の我々は暮さねばならないはず。
作品などを通して人の暮らしに色付けしたり気付くキッカケを創る仕事は人の生きる希望を輝かせるからこそ何が大切かを伝える力もあるはず。
もっと環境保護のメッセージを作品にしてゆこう。
自然を守るのに自分には何が出来るのか?と改めて考えると人の存在自体が自然を守る事と相反しているのではないか?と悩ましさを覚えた裏山の午後。
オーダーを抱えてる仕事とやる事は山積みなのに本質を探求するほど遠回りしてる。
引いてみたら大変な方を歩むのが後々には身になるのは今までが証明しているけど、これでもかと色々な問題が押し寄せるのは己で呼んでいるのだろうか?
現実にいちいち引っかかったり呆然としてしまうのは自分の器の小ささなのだろうけど海で揉まれてだいぶ臨機応変に対応できるようになってきてるもののまだまだ未熟だ。
人には何が出来るのか?と考えてきたけど
この星で循環継続して生きる為に人は謙虚な姿勢で自然界に身を委ねる生き方をどおしたら出来るか?を考える方が良いのかもしれない。
原始に戻れではなく共存共栄する方法があるはず。
人は何故、この星に来たのだろうか?
今までの正解だと思っていた固定概念から脱却して真実である自然の営みから少しづつ学びたい。