友人のカスタムビルダーユウがくれた四つ葉のクローバー
幸せを願ってくれた心意気が素敵だ。
もらった時の喜びの気持ちは変わらないけど
形ある物質は日を追う毎に当たり前だけどだんだん枯れてくる。
移動や仕度があったりして早く寝てなきゃいけないのに
そんな時ほどショックな事があったり、自ら起こしてたりして
気持ちが落ち着かずに寝付けなかったりする…
こんな空回りするような昼夜はもう何度目だろ
その度にいい方向へ必至に向いて進んできた。
人は皆、自分の幸せを求める生き物だ。
大切な人の幸せは自分の幸せでもある。
だからその人が望む未来を応援したい。
引き換えに自分の幸せは削られるのか?
そんな訳はない
思いやりってのは相手の気持ちや立ち位置になって考えて発言したり対応することだ。
自分の気持ちを一方的に吐き出しスッキリさせて笑顔になっても虚しいもんだろ
至福の受け止め方や毒の抜き方は人それぞれだけど、人の根本的な部分は変わらない。
先ずは自分が幸せでないと相手も誰も幸せに出来ないのだろか?
幸か不幸かは全て自分の解釈次第だ。
どんな状況にも幸せや幸運はある。
そして幸せな笑顔は回りも幸せにする。
相手の幸せと自分の幸せが重なったら奇跡かな
表面的な幸せや繕った笑顔はより虚無を進めてしまう。
自分の生きる価値観を持ってたら回りの言葉には振り回されないもんだし己の中に幸せを発見できる。
本当に好きな人へなら何も見返りを求めずに出来る限りの愛情をそそげるもんだ。
自分を殺すと想うと中々出来ないけれど大切な人の喜ぶ笑顔が日々の活力になるのは間違いない。
自分本位な生き方がこの世の中で蔓延している。
そして心の弱い人に漬け込んで様々なトリックで簡単に洗脳人の大量生産。本人達が気付いてないのが危な過ぎる。
人の不幸や心配につけ込む手口で不安を煽り、いつしか不安病を患い、何をするのでも心配に支配されてしまい人を信じる事も出来なくなるのはとても悲しい事だ。
人への信用の度合いは自分への自信と信用の鏡だ。
大きな犠牲や代償を払い身に沁みた人達であっても多くの人は物質的にも幸せ過ぎたり、既存の物質社会にとらわれて本質的な無形の幸せの重大さに気付けないのかもしれない。
勿論、目に見える物を形作る者の1人としての葛藤と自問自答の繰り返しではあるけれど愛情を感じて信じて現世における天命を全うしたい。
物質と愛情のバランスが難しいこの21世紀の日本や資本と利己主義に乗っ取られた先進国?民の行く末はいずこへ
表面的な平和の中でボケてる人が多数いるけど、命がけの本気で挑めば大概は実現出来る気がする。
自分らしく生きてるいる人は魅力的だ。そんなんでも他人なら笑える事も身内なら辛いこともあろう。
それでも全てを包み込めるのが愛情だろう。
回りと比べずに己の等身大な幸せを大事にしたい。生きてるだけで丸儲けだ。
生きるのに金が要ると言ってる人は幾らあっても足りないと想う。
お金はある分でやりくりするのが知恵であり、困難を乗り越えながら心を豊かに暮らすものだ。
暮らす場所を変えたら不安もある。けどそれ以上のワクワクする期待や可能性の方に焦点を合わせて生きた方がどれだけ幸せだろう。
産んでくれた両親への感謝、ご先祖様への感謝の仕方は人それぞれだけれど
自分を信じて挑戦し、金銭的に迷惑をかけずに自分らしく自立して生きる事は最大の親孝行ではないのだろうか?
自分のしたい事の為に回りは犠牲に成らないでもいい。
隣の人が自分とは違うことを受け入れて敬意を払い共存共栄すればいいんだ。
生きている内に心から幸せだと思えるかは、この世にいる人が既に幸運を持ち合わせている事に気が付くかどうかだ。
小さく質素であっても宇宙のように大きな幸せを既に持っているのだから~