畑を一日中歩いて様々な事を想う。
人の名前が繰り返し出てくる時もあれば、場所であったり、出来事の残像であったり。
歩いては下を向き落ちてるウギ(砂糖キビ)を探して拾い横の列に投げてはまた探して歩く。
こんな単純労働を数えきれない位に一日中ずっと繰り返していると一種のトランス状態になるのか様々な呪文の様に人の名前やイメージが繰り返されて自分でも訳がわからない。
今日は昔の同僚達が出てきた。
それぞれに活躍している皆の残像が浮き出ては今の自分の状態が俯瞰で重なる。
人生にいいとか悪いとかあるのだろうか?
誰かと比べる生き方はしたくないのに深層心理では常に浮き彫りにされる。この世に生きている間は人間社会との関係を否定しては生きられないようだ。
以前の自分も出てきた。
好き嫌いがハッキリしていて観る側面を変えたら嫌なヤツだ。
死ぬ程働いて今よりお金は持っているのに若さからか尖って虚勢を張り自我が強く心が狭くて小さな人間だった。
今はどうだろう?
臨死体験の恐怖を何回も乗り越えて沢山の愛情や友情に助けられて生かしてもらえる幸せを味わい徐々に人にも優しく出来るようになってきたものの、まだまだ自我の尺度を人に押し付けたりしているのを自覚する度に未熟だと反省する。
喜びや哀しみを経験して持物を色々手放した分だけ自由になり個性を表現してどうにか生かせてもらえるようになってきているのだが、本題はやっとこれからという気持ちだ
もっとどうなりたいか明確にイメージしてみよう。
生きていれば曇りのち晴れもある
毎日、産まれたてのような新鮮な気持ちで生きるぞ!