口は災いの元とはよく言ったもんだ。
自分の尺度や発想で出た言葉も相手の身になれば穏やかでなく失礼な事も多々ある。
己が口から履いて相手に嫌な想いをさせた気持ちが自分が言われて初めて分かる。
酔っ払ってたら尚更感じる。
悪ふざけは相当な近い関係だ。
親しき仲にも礼儀あり。
友人、
家族、
知人や他人、
子供や老人、
些細な言葉や伝え方、
伝えたい想いを大切にしたい。
相手の気持ちを考えずに我が発言をゴリ押し通せば
結構は痛い目に会うのは自分だ。
因果応報、
人にした事を自分がされてその気持ちを噛みしめる。
今、本当に理解出来たら残りの生涯は穏やかに過ごせるのだろうか?
少なくとも本当に理解したら眼の前の人を傷つけたり嫌な想いはさせないだろう。
それが廻り巡って自分の幸せとなるのだろうね。
眼の前に居る人は自分の鏡だ。
自己中心的で相手を小馬鹿にした態度の人と出会うと
己がまだまだ相手や人に甘えた発言や行動をしているのではないかと思う。
そんなことを感じると相手をそんな風にしている己が未熟で恥ずかしい気持ちになる。
そういう気付きが感謝なのだろうか?
感じすぎて心底謝りたくなるような気持ちになる時ってあるよね
だから感謝と書くんだと実感する。
そんな気持ちを忘れないようにしたい
とても大事な学びがあるのだと本能が呼び覚まされる感じがする。
何事も自分次第で変えれるし理解できるのだろう。
全てを内包する宇宙は爆発的に大きいようで実は内面にある幾つもの小宇宙なのかもしれない
1. 無題
でも分からなくてもやっぱり、みんながたくさん笑顔な毎日がいいなぁと思ったり~