この数年、自分はどーしたいのか? と自問自答に先の見えない日々だったが、昨日アレンに朝方電話で突然仕事を頼まれすぐに現場に駆けつけ、依頼に応えるべく働いてみて分かったことはするべきミッションを与えられるとたちまち機能し始めてる自分がいたこと。希望を満たされたクライアントの喜びは躊躇無く労働への対価を齎しお互いに充実したこと。
これは物心ついてからずっと続いていることで、以前からも人に仕事を頼まれるとそこに自己の存在を見出していた。それは自分の努力の対象であり、充実感の源だった。 人のリクエストに応える事で自分自身を支え成長させていたのだ。
自分自身への仕事となると あーでもない、こーでもないと頭の中で試行錯誤している事が多く、前に進まずに同じ日々を繰り返すのは時間がもったいない。今まで通りにやる気があれば何でも出来るはずだろう。人の仕事をすることで自分の仕事が生きてくるはずだ。詰まる所、制作と生活がかかっているのだからつべこべ言ってられない。飯を食って屋根の下で制作を続けてゆく生活の現実は稼いでなんぼだ。
自分がどーしたいのか? なんてとても贅沢な悩みだけど機能しない日々は苦しいものだし、その日その日の気持ちがとりあえず収まるようにごまかして生きるのでは意味が無い。
要は人から頼まれる仕事はその対象と内容が明確だ。でなきぇれば良い仕事はできないので請けれないものだが、依頼者の希望を形にしてゆき、磨き仕上げて期待以上の効果を産み機能して喜んでもらえた時はこちらもとても嬉しいし製作期間の苦労も吹っ飛んでしまう。
自分の仕事と向き合うのと比べると人の依頼を形にするのは遥かに能率的な時間の使い方だろう。 もちろん自分への仕事はその機が熟した時にはかどるに違いない。
不安定な足場の時は本当に進んで大丈夫か? 渡れるのか? やめるのか? 進みたいのか? 本心の自分はどーしたいのか? 当たり前にわかりそーなことを今一度確かめる為に今という時間を与えてもらえたことは大きな意味があると思うが、時は待ってくれない。。
もっと役に立ち機能できるように頑張ろう。
I will do my BEST