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ISAO HAYASHI ☆ ride on art of my life ☆ 

オヤジが逝ってみて分かったこと




今頃オヤジはどこにいるのだろう?

オヤジが旅立って3ヶ月が過ぎた。
納骨を終えて少しづつ心が日常を取り戻してきたけれど、オヤジがこの世にいなくなってからの方が存在感を増していることに驚いている。
子供達に「キヨジーともっと遊びたかったね〜」とほぼ毎日言われるので子供達の中でもその存在は大きくなっているようでオヤジが死んでみて分かったことがいくつも出てきた。

己にとって最大の影響力をもった人間がいなくなることを父親が逝って初めて理解したのかもしれない。子供の頃から好きに絵を描かせてくれてた父親が44歳の時に脳梗塞で倒れると家族は段々と苦境を彷徨うけれど七夕の短冊に「画家となる」と書いた4歳までは本当に自由で楽しい日々だった事を遺品整理で発見した古い写真を観ながら想いだした。

写真を見ながら撮影している父がいて産んでくれた母がいて苦楽を共にした兄がいて産まれたばかりの妹がいて近くに祖母もいてくれて自分の中で薄れていた人生初期の記憶が一氣に吹き返してきた想いでオヤジがまだ生きているような氣がするオヤジの家でフラフラになった。

今ではDIYと言われる自分自身での工作や行動も何でも自作する父親を身近くに育ったお陰で息子の代でも発揮され我が息子を見てもそれを感じて血は水よりも濃いことを実感する。産まれた時代や場所が違うからか親子で違う所は色々あれどやはり親子なのだろう。

自分がなぜこんなにも海に魅かれているのだろう?と思い返せば小さい頃にオヤジに連れていってもらった海に感動してそれを今でも覚えているからで、その時に観た海の色はハワイィ・ビッグアイランドのどこまでも見えそうなクリアーで深く碧い海の中に居る時に全てが瞬時にリンクしたからこそ今の海に近い生活と仕事が回り今日まで生きかせもらっていることの必然にも氣付いた。

ブラックジョークのキツい父は脳梗塞後に言語障害と難聴を患い10年近くは心のシャッターを下して周囲の人でも接触を避けてどうにか心地良い環境を安定させようとしているようにも見えたけどその後の遺品には町内の行事をお知らせするポスターなどのデザイン制作なども手掛けており人の為に何かするのが嫌な訳ではないことも分かる。イラストとフリーハンドで様々な書体を駆使して表現されたそれを視ても自分の中にあるデザイン感覚のDNAがどこからきてるのは一目瞭然だった。印刷物を沢山切り抜いたコラージュの自家製オリジナルなハガキに想いを載せて四季折々に送ってくれたり食品や子供のおもちゃなど江戸に暮らしながら遠い南方の島で暮らす次男坊の家族にいつも愛を届けてくれていた。感謝の気持ちを返しきれずにこの世からいなくなってしまったのがあまりに突然すぎて落胆している日々だったけれど膵臓から身体中に転移した癌細胞の苦しみに悶絶する最期にどんどん冷えてゆく手足をマッサージして声をかけながら看取れたのは不幸中の幸いでもある。家族全員が揃うと荒い呼吸から落着いた様子になり名前を皆に呼ばれると涙を流して呼吸を終えた。火葬場が混んでおり安置場所に1週間居ると表情はかなり変化して肉体は固まった。オヤジの遺体を前に顔をスケッチしたけどその絵の下手さに自分ながら失笑して死んでるオヤジに謝ったがオヤジは自分の中でまだ生きてるようで冷たく固くなって動かないオヤジに連日会いに行ってもそれが死だとはすぐに理解できずに精神を安定させるのに今日まで随分と時間を必要とすることも再確認した。当り前のこととして言っていた「産まれたらいつか死ぬ時が来る」という言葉も言葉で知っているだけだった。

オヤジはこの世ですべき事は愛する人達を大切にして幸せに生きることだと改めて氣付かせ悟らせてくれた。

納骨の時に50年ぶりに開いたお墓でオヤジが3歳の時に他界してずっと会いたかったろう生母と祖父の間に骨壺を置いてもらうとやっと両親の近くに行けたのだなぁと想い死んで叶うこともあるのだと教えてもらった。

大きな戦争を乗越え日本を経済発展させてきた中枢の世代であるオヤジの人生はどんなだったのだろう?
1ドルが360円のころに世界を一周した価値観でいつも色々言われてきた。
見本市や博覧会など見聞を拡げ教養を与えてくれたのが今に繋がっているのは確かだろう。
自分が親になり、はじめて父親の気持ちが少し分かったこともある。

この数ヶ月で心身疲れて何歳も歳を取ったような氣もする。
子供達の成長スピードには眼を見張るし己の氣力体力の変化も感じる。
幾度と病にも倒れたり体調を崩したりもしたが家族で島暮らしをしながら絵を描き波に乗って感じた事を表現し生業にして今日もこうして生かせてもらっている事は軌跡のような現実でそこには喜びしかない。

あの世なのか?どの世なのかは分からないけどオヤジが亡くなってからずっと描きたかったオヤジの魂が空を飛んで好きな所へ飛んでゆくイメージのスケッチを今やっと描いていたら電話が鳴り消防署からで消防団員の救済として香典が出るので署まで取りに来て欲しいと言われた。
やはりこの世は眼で見えない何かで繋がり生かされているようだ。

想いに区切りなどつかないけれど紙やカンバスに今の気持ちを描けるくらいにはやっと回復してきたので今回ブログに自己回想用&経験の共有として記述しておきます。

頂いた年賀状へのお返しも出来ずに気持ちが落ち過ぎて集いにも顔を出せずに多くの方にご迷惑やご心配をおかけして申し訳ありませんでした。
まだまだこの世で生きて何ものにも捕われず自由に表現したい所存です。
多くの皆様の支えがあり今まで来れましたことを深く感謝しております。
一層の努力をしてこれからも楽しく生きますのでどうぞよろしくお願い致します。

林 功
3/19/2020

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ISAO HAYASHI
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魂の表現と命のあり方を探求するブログ。

絵を描き表現するのが生業。島で子育てしながら畑で汗かいたら海で波乗り。大自然の息吹の中で心を整えながら家族とこの星でサバイヴちぅ。

生まれてきた意味を味わいながらずっと自由でありたい。

ブログに掲載する写真、文章などを転載する際は[isao hayashi " ride on art of my life " ]のクレジット表記とリンクをお願いします。

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