数人が同時に爆音でかくイビキに不快ながらもみんな病人達なので怒れない。
それでも連日連夜の事なのでうるさくて眠れない為にいつも耳に何か入れないとならないのでとても疲れる。
おかげでこちらの生活リズムはめちゃくちゃになってきた。
こんな誰かの何かのせいにしている己が恥ずかしくもあるけど弱音を吐くのは時にとても大事なことだと伝えたい。
人に話せた悩み事は誰かに話した時点で既に半減している。
本心を誰にも言えずにじっとしているのは実に不健康極まりなくストレスフルで危険だ。
去年は帰国してからの環境が整わずに人に言えない悩みで顔中が吹き出物でいっぱいになったけど、ずっと抱えてる持病もストレスが元で身体の一部分にツケが出たりするので日常生活の中でストレスを溜め込まずにいたい。
毎度うるさいからと耳栓を長時間してみると万能ではないと分かる。
耳が圧迫されて痛い上に高周波と低周波の音は塞げず依然として耳元へ届いてくる。
日中~深夜と病棟の雰囲気は独特だけれど廊下の先でナースコールが響き続けてる音や何やら奇声をあげ騒いでる人の高音とイビキの低音が混じって聞こえてくる。意識すると捕われてしまい眠れない。
こんな時にポータブルミュージックプレーヤーとヘッドフォンは絶対に必需品だ。
気に入った音楽は睡眠時間を心地好く守ってくれるのはもちろん移動や生活ペースも上手く乗せてくれるので重宝する。
それなのに、あぁ、無くなってしまったiPod。。どこに行ってしまったのだろ?
そうそう気軽に新しい物を変えないし困った。。。いつまでも借り物でしのげないし、無いと生活出来ないのが身に染みる。落ち着いて寝れない環境で病気の全快は程遠いからなぁ
こんな弱音を吐くのもほどほどにもっと強くならなきゃダメだ。
生きる支障や個人的な不安材料をポジティブに変えるにはいったい何が必要なのか?
病院では様々な患者を受け入れる故に生と死が日々行き交う生々しい現場で当然ながら日勤も夜勤も全てのスタッフは命を預かり大変な仕事に従事している。それは毎日皆さんの働きを見て間違いない思う。
どの世界でも現場を支えているのは前向きな姿勢で実直に経験を積み重ねてきた者達だ。
医療であればドクターと看護師のみならず介護福祉士、薬剤師や栄養士、清掃夫など沢山の人達のチームワークの上で成り立っている。
渡る場数と経験が命に直結しているだけにやり甲斐は大きいだろうけど同時に抱えるであろう大きなストレスはどのように解決しているのか?
今回の入院理由も以前の自ら死ぬ直前まで追い込んだ時も病気の元であるストレスを体内に溜め込みすぎて身体を壊してる。
誰にも言えずに行き場所のないストレスが身体のどこかに出て知らせる
まず、どこにいても何をしてもついて回るストレスをどのようにしてスルーさせるか?
これは非常に重要な事で敏感で繊細な程、ストレスをもらっていたら辛過ぎる。
病は気からと言うが、それは本当だ。
心と身体は繋がっているからこそ一刻も肉体を離れない精神をどのようにコントロールして、どう自由にするか?
これはこの世で生きる上でとても大きなテーマにほかならない。
それらに近づく為に今まで見つけたメソッドはヨガ、サーフィン、スイム、フリーダイブ、スキー、スノーボード、スケートボード、ランニング、自転車、バイク、トレッキング、サッカー、ストレッチなどで好みの運動方法で身体を動かすことは体内に溜まった毒素やストレスを汗が抱えて体外へと出してくれる。引き換えに得た充実感は清々しい気持ちに充たしてくれる。
肉体を動かし代謝する方法は人それぞれ異なるだろうが、この身体を動かして得た充実感こそ歳を重ねる毎に頭でっかちになってしまった現代文明人に取ってとても重要な要素だ。
これら身体的充実感を得ることは落ち着いて仕事に取り組む姿勢の基礎を作る。
心身共に健康であれば自然にその人が持つ最大限の能力が発揮され。良い循環を得た精神の安らぎは安定した生活を形成する。
そうは理想を言うものの様々な事情に縛られている現実世界の中で毎日、毎週、毎月とまめに運動出来ていたら素晴らしく健康かと言えば他にも病気、ストレスを作る原因はまだまだある。
そのひとつは毎日生きるのに必要な食。
現代の食生活は合成食材、合成飲料、過度の油分、農薬汚染された食物、科学調味料などが飽和状態で無意識に生活していると生涯に渡り多量摂取してしまう。
癌や病気などの疾患として表面化するまでは下降変化した免疫力に気付かずに心と身体の初歩的なバランスを崩し健康と生命力を日々失ってしまうので気をつけたい。
それでも人は存外に強く様々な環境への適応力にも優れているので人の可能性はまだまだ棄てたもんじゃない。
だからこそもっと謙虚に全てに感謝して身近な自然環境を守り人類が宇宙と調和して生きれるようになりたい!(そんな大袈裟なことでなく、みんなで調和したいということ)
進化した延命治療を持つ先進国の人は長寿で老人社会を加速させる一方、肥満体の様に傲慢さも肥大している。
個人での事を国レベルで捉えても世界規模で考えても人の自己中心的な考えは強い。他人に尽くす奉仕など綺麗事に映り我が優先と富に群がる様は醜いが餓えた生き物の本能的行動で衣食住のバランスが取れない厳しい状態は心も身体も病む悪循環になってしまう。
こんな現世に何が出来るのか?と今一度、自問自答してみよう。
生きて感じた想いはなんらかを表現したい気持ちになるはず。
大事な人を抱きしめたり、いま食べる食事に感謝して棄てたり無駄がないように心がけたり、隣の人とも分け合えたり、些細でも嬉しい事を発見して笑顔でいれたり。
また道具の使い方など方法を知っていればうまいへたに関係なく素直に画を描いたり、写真を撮ったり、音楽を奏でたり、今日食べる食事を料理してみたり
そんな本能的な行為に回帰させるきっかけはいつもそこにある。
生きる為の良いバランスを見つけて、どのように継続し、その経験や味わいを何に還元するのか?
命を持つ個体が因果応報を抱え宇宙に生かされている理由は図り知れない。
無い物ねだりではなく今あるものを工夫して何とかするアイデア、何事にも向き合える勇気と不安にも動じない強くて優しい心を養いたい。
まぁ何をするにしてもまずは健康体にならなくちゃ
携帯で長々書いて疲れたけど散文で読みずらいだろうなぁ
皆さん季節の変わり目ですが元気に毎日楽しくお過ごしください