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ISAO HAYASHI ☆ ride on art of my life ☆ 

kalalau




命からがらどうにか日本に着いた。

カウアイを離れる前にジェラシックパークの舞台でもあったナパリコーストのアッピンダウンが連続する山の先にあるカララウバリーを目指しハイクでの11マイルに挑戦した。

そこへの通じる道は歩いて山を越えるか、船で行くことになるが冬は波がデカ過ぎるので上陸できない。

前回は春にサーファーペインターのブラザーJOJOと挑んだが、もう少しという所でカヤックが沈没したので辿り着けなかった場所。その時も九死に一生を得えてどうにか帰ってきたので、カララウへのリベンジは悲願でもあった。

今回はカウアイ〜ニイハウまで泳いで渡ったり、ヨットでカウアイ〜オアフを航海した経験のあるブラザーマフューが相棒だ。彼のあだ名はドルフィンでトレイルの全ての行程を素足で歩いていた。それに比べ俺はまだまだ未熟だ。トレイルの途中、展望の良い所からは潮を吹くクジラが見れたが、うんざりするほど山を登り下りを繰り返す11マイルは半端ではない。

歩ける道幅は30cmほどしかなく山側はジャングル、海側は急勾配で道はぬかるみ、8マイル地点からは断崖絶壁で足を踏み外せば何百メートルも下にある海へ真っ逆さまだ。落ちたら確実に死ぬ。下に広がる海では轟音と共に見事なシェイプのヒュージパーフェクトウェーブがブレイクしている。キャンプ道具と食料をガッつり詰め背負ったパックは40kg以上あり気を抜くと後ろに引っ張られるし、視力の低下している眼は足下の恐怖に拍車をかける。緊張と疲労にヘトヘトになる俺を尻目にゴートのファミリーは悠々と登っていた。全てはバランスの上に成立つと知らせてくれる。

出発が遅かった為に6マイルのポイントで一泊し二日目に何とかついたその地は、あり得ない景観を産み出し、自然が作った造形はもの凄いパワーを放っていた。圧倒的なスケールで迫ってくる迫力は地球の中でも最も強いヴァイヴがある場所だと感じる。大昔にハワイアンが暮らした集落跡があり、ヘイヤウは今まで見た中で一番神聖であった。あまりにすばらしく、とても言葉で説明できない。

生きてこの地に来れた事を素直に心から感謝出来る。

その夜は満天の星空と流れまくる星に自分が宇宙に居る事を実感し感動に浸りながら真っ暗な中で芝生に座りウクレレを弾いていたらイキナリ足に猛烈な痛さが襲う。ライトつけて見るとふくらはぎに二つの穴があいていて皮膚の中に内出血の様に何か入っていた。痛さをこらえ急いで絞り出し、口で吸ってみるも激痛は消えない。みるみる腫れる足を襲ったのはモンスターと言われる巨大ムカデだ。

20分もしないうちに身体中が震え出して意識が遠のいて芝生の上で倒れていた。
しばらくして顔に冷たい刺激を感じて目覚めると雨だと気が付いた。雨脚が強くなるに従って本能的に危険を覚えて体温を奪われたら生きていけないので唯一の人工建築物であるレンジャーのロッジに倒れ込んだ。

カララウには忍者のように自給自足で暮らすヒッピー達がいてもうろうとする意識の中で彼らが幹部に自生するカララウのタバコとメディスンであるノニの葉をあて解毒してくれていた。痛みを堪えてながら横になっていると意識を失い二日間寝ていたらしい。

その間も忍者達はあいつは死ぬだろうと話していたらしいけど、その時に看病してくれたダンテという男のソリッドな鍛え上げられた肉体が薄れ行く記憶に刻まれた。

意識が戻った日の朝には幾分良くなるも痛さは半端ない。それでも命の水を滝まで汲みに行き、座って休すもうと腰を下ろした瞬間、同じ足の太ももを今度は蜂にさされた。まさに泣きっ面にハチ。その日は完全に体中にムカデの毒が回り、動けずにひたすら寝る。次の日もろくに動けず意識ももうろうとする中、ひたすら寝て毒と闘う。

次の日には運動能力の落ちた身体は言う事を利かずに、見えない眼もあって短い距離を歩く中で、もう一方の足を岩にぶつけ爪と皮膚をもっていかれた。完全に歩行不能。二日後には飛行機に乗らないとチケットはただの紙になってしまう。

カララウの神様にもっと精進しろ!と言われたのだという想いが心に刺さる。

飛行機の搭乗日が前日になっても歩いて帰れないので焦り始めているところにバリーに1人だけ暮らすハワイアンが天の助けと持っているボードに乗せてくれることになったが冬のノースショアは波がデカ過ぎて彼のボートに付いている小さなエンジンでは人を乗せて波をクリアして沖には出れないのでお前は泳いで沖に出ろと言う。

入ろうとしている目の前の海では、まるでビルが崩れてくるような巨大な15〜20feet以上の波が轟音をたて鬼早いスピードで迫ってくる。自分の経験した中では確実に一番デカイ波にびびった。

マフューと最後の別れのハグをして海に入る。迫りよる波をダックダイブして抜けると鼻が下の砂に擦れた。ショアブレイクは強烈でとてもシャローだ。歩けないのだから当然だが足がウマく動かないのでウマく泳げない、そして進まないことからの焦りは呼吸を乱す。心臓はバクバク鼓動を早め、一本でも波に捕まれば体力を失い沖には出られない。こんな時に己の能力が一番分かる。

波とカレントに引っ張られながらも、どうにか沖に出れて何とかボートに乗り、トレイルした道程を海から眺める。走るボートを進ませまいとする勢いの大きなスエルを目の当たりにしながらノースの出発したケエビーチに戻ると、生きて戻ってきたという実感はそのまま安堵感となるもカララウでのリアルな記憶と経験は別世界の出来事だったかの様に車を運転しながら現代社会の日常に解けていく感覚が不思議だった。

もうろうしながら夕方にはサウスの家に帰ってこれたので、陽が沈むまでの30分をしばらく戻ってこれないホームポイントへ向かう。ろくに歩けないが板を抱え直行しパドルアウトする。サウススエルは最悪なコンディションだったが、それでも何本か乗り、馴れた海に入ることで心と身体の緊張が解ける。サンセットしてオレンジブルーに染まるポイントに別れを告げ次のミッションの為に、何も食べていない胃袋に途中アップルパイを買い活を入れる。

まだまだやる事は山積みだ。次の日までに家を出る為に自分の全ての荷物を整理してトラックに乗せなきぇればならない。疲労困憊の中、休み無く引越作業をして朝まで闘い、家を掃除して、ブラザーユーライヤとJOJOの家を訪ねて挨拶し、トラックをマイリビングレジェンドのドウェインに預けに行き。別れの挨拶をして彼がケアしているベンアイパの孫でもあるトンプソン・タイロール・タイソンの3人兄弟から手紙をもらう。

一睡もする暇もなくエアポートに着くも、NYのヒロと電話で話していたらホノルル行きの飛行機は搭乗リフトから離れ動き出して見事乗り遅れる。とほほ感もつかの間、次の便に乗ることが出来たのでラッキーだった。機内でブラザーにもらった手紙を開けると心のこもったメッセージに心温まり泣きそうになる。
素晴らしい気持ちをもらえて俺はとても幸せだ。

何とか国際便に乗りつぎ成田まで帰ってこれたが、乾燥する飛行機内で、今度は風邪菌を移され今は完全に風邪をひいてノドが痛くてたまらない。足も水ぶくれの様になり腫れ上がり依然として痛いが親友の家に居候させてもらっているのは本当に救いだ。

やらなきぇればならない仕事も沢山あるし、あわなきぇればならない人もいるし、楽しみにしている風呂にも入れないし、長引かせたくないし、好きではないけど明日は病院に行こう。
カナリもうろうとしてるけど何時までもダウンしていられない。

早く元気になって自分が産まれたのに余り知らない日本を満喫したいもの。

生きていると本当に色々あって、自分はまだまだであると痛感する。毛穴の閉じていない今の身体に師走の風はとても冷たいが、喜びは心を温かくする。

カウアイでアロハスピリッツを学べた事は俺の人生に取って掛替えの無いものだ。人からもらった愛をちゃんと返せる人間になる努力をしよう。
心理状態は様々に変化するが、今までに出会った総ての人に感謝して今後を生きていきたい。

So, Mahalo
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ISAO HAYASHI
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魂の表現と命のあり方を探求するブログ。

絵を描き表現するのが生業。島で子育てしながら畑で汗かいたら海で波乗り。大自然の息吹の中で心を整えながら家族とこの星でサバイヴちぅ。

生まれてきた意味を味わいながらずっと自由でありたい。

ブログに掲載する写真、文章などを転載する際は[isao hayashi " ride on art of my life " ]のクレジット表記とリンクをお願いします。

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